たいせつなもの
大杉 翔

「もうすぐ産まれますよ。みんな入ってください。」
看護婦さんに言われて、ぼくはお姉ちゃんとお兄ちゃんと弟といっしょに、お母さんがいる部屋に入りました。
お母さんは、赤ちゃんを産むためにがんばっていました。
「痛い、痛い。」
と言ってしんどそうでした。その横でお父さんがお母さんの手を握っていました。そして、
「がんばれ」
とはげましていました。
ぼくはお母さんが大変そうだから
「早く生まれて、お母さんがラクになってほしい。」
と思って、
「がんばれ、がんばれ。」
って何回も言いました。
お姉ちゃんもお兄ちゃんも弟も
「がんばれ、がんばれ。」
って言いました。弟は途中で泣き出したのでおばあちゃんといっしょに部屋の外で待つことになりました。ぼくは弟のぶんも一生懸命、お母さんを応援しました。
「おぎゃー」
と小さな声が聞こえました。先生が、
「泣き声が聞こえてきたで。もうすぐ産まれるからがんばれ。」
と言いました。ぼくも赤ちゃんの小さな声が聞こえました。そしたら、すごくドキドキしてきました。
「早く赤ちゃんの顔が見たい!」
と思って、
「がんばれ、もうすぐやで。」
って大きい声で言いました。赤ちゃんにも聞こえるように言いました。お父さんもお姉ちゃんもお兄ちゃんもみんなで
「がんばれ。」
とお母さんと赤ちゃんを応援しました。
「おぎゃー、おぎゃー。」
大きな泣き声がして赤ちゃんが出てきました。へその緒が、お母さんとつながっていました。
「うわぁ、へその緒ってこんなに細くてながいんやなぁ。」
って思いました。しわくちゃでとっても小さい女の子の赤ちゃんです。先生がへその緒を切ってくれて、
「お母さんのにおいを覚えさせるために、だっこしてもらうしな。」
と言って、お母さんに赤ちゃんをわたしました。お母さんはにこにこして、
「産まれてよかった。」
と言いました。お父さんも笑いながら
「ぶじに産まれてきてよかった。」
と言いました。先生や看護婦さんは
「おめでとうございます。」
ってにこにこして言いました。ぼくは
「やっと会えたなぁ。」
と思いました。
お母さんも、赤ちゃんもとってもがんばりました。先生やぼく達家族も一生懸命応援しました。そうして赤ちゃんが産まれてきて、みんなが笑顔になるんだな、思いました。ぼくも、うれしくて、何かむずむずむずむずして、ずっと笑っていました。

赤ちゃんの名前は祐月になりました。
お母さんは祐月が産まれてから一週間くらい入院しました。その間、おばあちゃんやお父さんといっしょに、お母さんと祐月に会いにいきました祐月はだんだんサルみたいな顔じゃなくなってきました。お母さんにいつもにこにこしていました。
お母さんが入院している一週間は、おばあちゃんの家でご飯を食べました。夜は家に帰るけど、お母さんのいない家は静かでさみしいです。
「早く祐月といっしょに帰ってきてほしいな。」
と思ったけど
「二人のお兄ちゃんになったんやからがんばろう。」
って思いました。だから、お母さんが電話で
「がんばってるんやな。心配してたけど、がんばってるって聞いてうれしいわ。」
って言ってくれた時
「もっとお兄ちゃんとしていろいろがんばれるぞ。」
とやる気が出てきました。

祐月とお母さんがいっしょに家に帰ってきました。七人家族になりました。祐月が帰ってきてからぼくは、ほとんど毎日
「お母さん、祐月だっこしていい?」
と聞いています。お母さんは
「首をちゃんと支えてあげてな。」
と言って、祐月をわたしてくれます。祐月をだっこしたらやわらかくてあったかくていいにおいがします。ぼくは祐月のことがとってもかわいくて大好きです。早く祐月といろいろなことをしゃべったり遊んだりしたいです。
祐月をだっこしながら、ぼくのたいせつなものは「祐月やな」と思いました。他にもないかなと考えてみました。
けんかするけど弟の涼真もたいせつやな。お姉ちゃんは、優しいし、わからないことをいろいろ教えてくれる。お兄ちゃんは宿題ができてなくておそくなった時にがんばれって言ってくれたり、おこられて泣いている時に「次からそんなことせんときや。」ってやさしく言ってくれる。お父さんはおこったらこわいけど休みの日はぼくたちを遊びに連れて行ってくれる。お母さんもおこるとこわいけど、いつもぼくのことを心配してくれる。
ぼくのたいせつなものは家族です。ぼくは家族のことがとっても大好きです。




種田征四郎先生様

 この度の長女の出産には、いろいろ暖かい励まし、ご協力ありがとうございました。
 妊娠中の仕事もとてもハードな中、京阪神、東京と多忙出張にもこの子は協力的で6/20までの仕事を引き継いだ直後の6/25に出産。会社のみんなもなんと!!という感じのようです。
 はじめて11月に妊娠のお知らせをいただいたこと、初期の安静時のこと、思い出してみるとその度に先生の励ましをいただいて10ヶ月までがんばってこれたと思います。9才年下の今の主人と出会って一緒になったことも人生の中ではとても転機となりましたが、今回の妊娠とマタニティライフ中の新鮮な気持ち、感謝の気持ち、出産の感動と子供の持つすごいパワー、いろいろな事をすでに教えられてばかりの気がします。子供に恵まれたということもとても嬉しかったけれど、今は子育てを経験できるということがとても大きな事のような気持ちでいっぱいです。私たち2人にとって、この子がすべてというような生き方は?少しと思いますので、2人に“子育てした”ということが財産となるようのぞんでゆきたいと思っています。
 会社の方にも今まではとにかく前向き、前向きと強気で取り組んできた私ですが、今はしばらく休暇をとり、少し立ち止まって人間に厚みとあたたかみと幅が持てるよう、子育てには時間をいただくようお願いし、復帰する秋以降には目に見えない何かでもきっとよい状態で戻れることと考えています。
 この子はいつも突然でいきなり産まれ何も準備していない私を驚かせ、帰る日もどうかなと思っていると一緒に戻れたり、本当に小さいながら“根性のすわった奴”という感じです。退院の日、雨の中、先生が外まで見送って下さったこと一生忘れることはできないと思います。自分の健康を守り、がんばってゆきたいと考えています。本当にありがとうございました。

K・K




院長先生

 本当にお世話になりました。
 我が子がこの世に出た瞬間にすぐ、この胸に抱かせてもらえたことは、本当にこの上なくうれしいことでした。今後、何かでつまづくことがあっても、あの瞬間を思い出せば、子育て何だったがんばれると思えます。
 検診の時も、一番目二番目の子を、息がつまるほど抱きしめなさい!!と、おっしゃられたことは、忘れません。はっと目が覚めるようなお言葉をいただき、はげましていただきありがとうございました。
 とてもいい出産をさせていただきありがとうございました。

T・Y




種田先生へ

 私がここの病院に初めて来たのは、まだ高校卒業して数日しか経ってなかった時でした。
 初めて、自分のおなかの中に“小さな生命がある”って知った時、“産みたい”っていうことだけを思い続けていました。
 しかし、親は猛反対。毎日、両親のいる家にいたくなかったので、しばらく友達の家にお世話になったりしました。私たちの気持ちをわかってもらいたいという思いばかりで、先のこと、両親の気持ちというものを少しも考えませんでした。そして一度は、先生に“絶対に産む”って言いに行ったけど、それはダメになってしまい、とうとう中絶することになりました。ただ、悲しい、つらい、とかいう思いばかりで毎日毎日、1人で泣いていました。
 それから、約2〜3ヶ月経って、また妊娠していることがわかった時、“今度こそは…”という気持ちの隅に不安と迷いがありました。
 主人に“子供ができた”と言った時、すごくよろこんでくれました。そして、今度また反対されたら、2人で家を出て産むという決心をしました。反対されるのは、わかっていましたが、とにかく両親に思い切って言いました。思ってた通り、すごく反対をされましたが、諦めがあったのか、許してくれました。そして、結婚式を挙げてもらいました。
 結婚してからは、あっという間に月日が過ぎていき、赤ちゃんが産まれる予定日に近づく度に楽しみで楽しみでたまりませんでした。予定日を過ぎても陣痛が来なかった時、少し焦り始めました。そしてやっと赤ちゃんが出て来てくれた時、今までの悲しみとか何もかもが吹っ飛んでよろこびだけが溢れてきました。主人もきっとそうだと思います。主人は立ち合いだけは絶対イヤと言っていましたが、いざ立ち合って、とても感動し、涙が出たと言っていました。先生にはとても感謝していました。私も、あんな感動した出産ができ、感謝の思いでいっぱいです。まだまだ、子供ですが、これからもがんばっていきたいと思います。
 先生、今度は男の子を産みますね。その時はよろしくお願いします。っていうよりこれからもよろしくお願いします。本当にありがとうございました。

U・N


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